チェルノブイリの祈り
- 作者: スベトラーナ・アレクシエービッチ,松本妙子
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1998/12/18
- メディア: 単行本
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2015年ノーベル文学賞を取ったというニュースで知った作家、スベトラーナ・アレクシェービッチ。図書館に『チェルノブイリの祈り』があったのですが貸し出し中だったので予約しました。ようやく「借りられますよ」とメールが来て、昨日の午後図書館へ行きました。
そのままパン屋のカフェで本を開きました。
いっきに読んでしまいました。
これを読んで、私はどうしたらいいのだろう。読まなかった方がいいとさえ思いました。
タイトル通り祈ることしかできません。
責任を取らない政治家や役人。庶民の涙は、葬られます。そういうこともあったよねと過去のものにされます。
その点で、実際に普通の人々の声を取り上げたのはすごく有意義なことなのですが、悲しすぎて困りました。
日本でも同じことが起こっています。
「チェルノブイリより被害は少ない」。それも本当かどうかわかりませんが、放射能をまき散らしたことがどれほどのことなのか、誰も責任を取らずに、なかったことにしよう、全てOKと言い続けていれば、忘れられるものと思っている。
そうして、私たちもすぐに忘れてしまう。
当事者は声をあげられない。同調圧力は日本も強い。
本の中で、戦争のほうがまだましだったという声があった。戦いが破れても、耕せる大地が残っていれば生きていけた。でも、大地が汚され、森と生き物が汚染されたら、庶民はどうやって生きていくのだろうか。
「汚染されていないものを食べなさい」と指導されても、そんなものを買えるのは一部のお金のある人たち。汚染されていると知っていても食べるものがなければ食べるしかない。
本当に原発だけはやめて欲しいと思う。
何に憑りつかれて、地球を駄目にしようとしているのだろうか。
妻と娘を病院に行かせました。ふたりは身体じゅうに黒い斑点ができていました。あらわれたり消えたり。五コペイカくらいの大きさだったが、痛くもかゆくもないという。検査をされました。
「検査の結果を教えてください」と頼んだら「あなたがたのための検査じゃない」といわれた。「じゃあ、いったいだれのための検査なんですか?」
略
ぼくは証言したい。ぼくの娘が死んだのは、チェルノブイリが原因だと。ところが、ぼくらに望まれているのは、このことをわすれることなんです。(P40)
人間より恐ろしいものって本当にあるのでしょうか?(再び口を閉ざす) (P60)
絶望はしていられない。
でも、今度戦争が起こったら、先の大戦と違う形になる。もっと劣化ウランや核ミサイルが登場して、大地が死に絶えるかもしれない。生き残っても戦い破れて山河無しになる。
人間は欲望に勝てないのだろうか。