胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

映画『デトロイト』

 

デトロイト(字幕版)

デトロイト(字幕版)

 

 『デトロイト

 キャスリン・ビグロー監督 2017年

 

 気になる映画ではあった。

 いきなり夜に観てしまった経緯は次の通り。

 通勤帰りにネットラジオで「荻上チキ・session22」の「表現の不自由展 その後」が再開された「あいちトリエンナーレ」取材の模様を聞いた。

 「表現の不自由展」の騒動の感想はおいといて、愛知は遠いし観に行こうと思っていなかったけれど、荻上チキさんの案内を聞いていると、興味深そうな展示がいろいろありそうだとわかった。家に帰ってから、「あいちトリエンナーレ」のホームページを開いてみる。https://aichitriennale.jp/artwork/index.html

 すてきなアーチストがいっぱい来ているじゃない。

 映画監督のアレハンドロ・ホドロフスキーの「ホドロフスキーへの手紙」という展示があって、観たかったと地団駄を踏む。https://aichitriennale.jp/artwork/N06.html

 その他観てみたい映画、ドキュメントも数多い中にキャスリン・ビグロー監督の『デトロイト』があった。これなら、いまAmazonプライムで無料で観られると、さっそく観たのだ。

 

 映画は胸苦しくなる。何もしていない若者が市警察に痛めつけられる。善悪が判断できる白人はかかわりになりたくないと目を背ける。理不尽なことばかりでつらい。そして裁判でも白人が無罪。なんの救いもない。

 『スターウォーズ』に出ているジョン・ボイエガはいいのだけど、主役というほど出番がない。前半の狂気の殺人ゲームに比べて裁判劇があっさりしてドラマがない。傍観者で手出しができなかったジョン・ボイエガ演じる警備員に罪を着せようとした刑事。そのあとどういうドラマがあっての法廷だったのかがわからない。

 最後は、自分たちの悪事をしゃべった警官の自白も「強制されての自白」となり無罪。陪審員は全員白人。警察は、3人がろくでなしとわかっていても、警察の面子にかけて3人を守らないといけない。

 ラリーがスター歌手の道を断って、教会の聖歌隊で歌う道を選んだ気持ちはよく伝わってくる。あの恐怖のあとで、白人の前では歌えないという気持ち。だれが主役というわけではなく、ひとりひとりの人生がめちゃくちゃにされたという怒り。黒人というだけで簡単に殺される。

 これはデトロイトのことだけではないということ。最近のわたしは、この人は差別主義だろうか、率先して人を殺す道具にかわる普通の人なのだろうかと相手をみてしまう。そうしてわたしも誰かを助けようとできるだろうか。間に入ったら殺されるとわかっていたら、傍観者になるのだろうか。差別される側になったとき、どういう態度をとるのか。差別する人差別される人。

 警官は勇敢ではない。いつもおそれている。軍隊でもそうだが、自分たちが殺すから、自分たちも殺されるというおそれから、罪のない人たちまで皆殺しにする。虐殺は憎しみと恐れなんだなと感じる映画だった。