胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

村松圭一郎『くらしのアナキズム』

 

アナキズム」というと、無政府主義で国を転覆する、というイメージ。政府は無政府主義者たちを怖がって、大杉栄伊藤野枝を虐殺した。共産主義よりわけわからないから、怖がったのだろうか。

資本主義と民主主義は相性が悪い。

国は、暴力的になるものだ。

未開の社会に平等の民主主義があった。日本にもゆるやかな共同体があった。

わたしたちの暮らしの中のアナキズム。自分のことは自分でして、共同体をつくろうというと、国は「自助、共助」でと喜ぶだろうが、そうではなくなるべく資本主義に取り込まれ過ぎないような生き方を模索する。

国は安全な居場所をつくる。失敗しても自殺しなくてもいいような世の中。その中で、みんな好きに生きていく。それに近いことを目指している国もあるだろうが、バリバリの新自由主義のこの国で、民主主義と資本主義とを考え、国にすべてをまかせないで、自分の暮らしをどうつくっていくか考える。

この本は、たくさんの先行研究が読み込まれ、追いつくのに大変だが、アナキズムという言葉に魅かれるものとしては、考えさせられた。

 

宗教というのは、ほんとうは国におさまらない共同体で、アナキズムの要素はないだろうか。むかしは、宗教が弾圧された。現在は国や政治が宗教を利用して、独裁を行うが、宗教人は本来の機能をとりもどし、国を越えて敵を愛し、金と欲より質素な生活人を守る姿を取り戻してほしいと思う。