胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

3月になったのに雪

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きょうは3月6日。啓蟄も過ぎたのに夜から雪が降っています。今週は暖かくなるようだから、さいごの雪となってくれるだろうか。

白鳥たちも帰り支度に忙しい。朝方に騒がしいと思って窓を開けたら、100匹以上いる白鳥の大群が飛んでいる。

1カ所に100匹もいないから、あちこちにいる白鳥は待ち合わせして、みんなで帰るのだろうか。大勢の方が心強いのかしら。あんなに鳴いているのは、なにか打ち合わせをしているのかな。「どこで昼飯たべようか」「あそこで腹ごしないしていこう」「まだ来ていない群があるんじゃないか」。

白鳥は20年くらい寿命があるようなので、毎年長旅をして景色も知っているのだろう。白鳥たちにも安全な空でありつづけるように。

 

なんだか気が滅入る。

1月から「note」というところに日記をつけてみた。パソコンにも日記はつけているけど、ネットに置いておけば間違って消えることもないだろうと考えた。

わたしも1月からはライターの仕事にもどったし、クリエイターが「note」を利用していると聞くので書いてみたが、うるさくてやめた。

なにがうるさいかというと、「バッジを獲得しました」といちいちでてくる。バッジの意味がわたしにはよくわからなかった。フォローされたり「いいね」されたりする。フォローしてくれるのは、なんか投資しようとか、メンタル系の人たちで、自分のフォローを増やすためなのか考えてしまう。「いいね」してもらったら「いいね」してあげたい気持ちにもなる。

そうしてわたしにおススメの読み物もいっぱいでてくる。

もちろん興味があるものもある。みなさん素敵な写真に記事にすばらしいのだ。時間かけてつくっている。でも、読む暇もない。

ぜんぶ読んでいたら、時間が足りない。

そうして、その時だけですぐに忘れてしまう。

本を読むほうがいい。

ああ、面倒だと退会した。記事も消えたが、あいかわらずたいしたことは書いていないので捨ててしまった。

 

Facebookも面倒だ。

ほんとうに顔の知っている知り合いだけだから、あまり目新しいこともない。みんな、美味しいものを食べていていいなと外食しない私がうらやましく思うだけだ。

好きなのはTwitter

いろいろなTwitterをフォローをしていると、本や映画の情報が入って来て、読みたい本が増えていく。世間知らずのわたしには勉強になることも多い。

少しはTwitterに影響力はまだあるのかもしれないと思っている。

 

そういうわけで、たまにはこのブログに書くのが一番いいと思う。

ここのところ気が滅入ると、ただひたすら本を読み、映画を見ているけれどブログにつけることもしなかった。

仕事用の原稿を書いていると、ほかのことができなくなるせいもある。

編集部に送って、OKをもらったけど気分が良くならないのは、この仕事のあと何をしたらいいかわからないからだ。

はっきりいって仕事がない。たまたま介護関係の単行本の仕事が夫に来て、私の方が書けるだろうとまわってきたので、しこしこ認知症のことなど当たり前のことを書いている。当たり前だけど、精神保健はわたしがやってきた分野なのでサッサと書いて締め切りのだいぶ前に終わりそうだ。

でも、そのあと書くことが決まらない。

 

趣味の詩と俳句は書いている。

評論優秀賞をもらった俳誌がエッセイ連載の仕事をくれた。

賞を取るというのは大事なんだなあ、と身に染みる。

いままで応募ということはしてこなかったので、考え直すことにする。

某詩人の通信の詩の教室に詩も送ってみた。添削はほめられて返ってきた。

それも面白くないのかもしれない。

ただただ書き続けるしかないのだ。

孤独である。

喋るのも夫だけだけ。でも、お金になる原稿以外のことは夫に話したところでどうにもならない。自分で書いていくしかないのだ。

行き詰まると、映画に逃げている毎日である。