胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

気仙沼へ

先週のことだけど、電車で気仙沼にいった。「いわてホリデーパス」を使えば往復2500円。朝4時20分に家を出て盛岡駅まで歩く。夫はまだ寝ている。あれ、30分少しで着くと思ったのに、もう5時近く。発車は5時11分。最後は駆け足で駅へ。帰って来てから夫に「出る時間を誤った」と話したら、「歩くのが遅くなったんだよ」と言われた。そうなんだ、今までは歩くのが早いと言われていたのに、最近は人に追い越されたりする。足におとろえが出てくる。

 

それはともかく電車に乗れた。乗客はそこそこいる。外は霧が深い。普通の通勤電車なので、横一列のシート。だんだん晴れてきて外が見えるようになる。稲刈りがはじまっている。「あ、ぼっちだ」と思う。

奥州にはいると、稲のはせ掛けが縦に重ねて積んである。行き来している盛岡と遠野で見るはせ掛けは、平行棒に並べていくやり方だ。

育った千葉で落花生を収穫して乾燥させるのも、積み上げて塔のようにする。それを「ぼっち」という。いわれはわからないけど、落花生畑に一つひとつ離れて立つ姿はひとりぼっちの様子がある。

小さい頃は団地のまわりに落花生畑が広がっていた。いまではその畑も家が建つ。山も削って家が建つ。空き地には家が建つ。景色は変わってしまった。

 

奥州のぼっちはなんと呼ぶのだろうか。帰ってからTwitterを見ていたら「ほんにょ(穂仁王)」と書いてあるものがあった。稲穂の仁王様か。こちらの名づけは勇ましい。

 

一関駅で大船渡線へ乗り換え。待ち合わせ時間がある。

大船渡線はシートが向き合わせで、外がよく見える。砂鉄川が豊かな川幅を見せる。猊鼻渓あたりを過ぎ、彼岸花が咲くあぜ道をみたりして飽きなかった。沿岸に近づくと、稲のはせ掛けは平行棒になっていた。気仙沼には8時45分に着く。

岩手ホリデーパス

 気仙沼駅の観光案内所でいろいろ教えてもらう。観光案内所でリアスアーク美術館のチケットを買うと、500円ずつのタクシー割引券がついている。歩いて湾へ行けば、カフェなどもあるという。歩いて海まで行くと、おしゃれなカフェなどが並ぶ。若い人たちが準備をしている。なにかイベントがあるようだ。海沿いを歩こうと思ったけど、陽ざしが暑くなってきた。家を出るときは寒くてショールを持ってきたけど、帽子を忘れた。タクシーを頼んで美術館へ行く。タクシーの運転手さんが「ここまで津波が来た」「ここは田んぼだった」と教えてくれる。

 11時半に気仙沼在住の俳人Kさんと待ち合わせてランチなので、急いで展示を見て歩く。震災の記録の展示を一つひとつ見て回るのは時間がかかる。わたしは津波直後の沿岸を見ていない。見ておけばよかったのか。でも、のこのこ行くものではないと思っていた。釜石の夫の実家が流されて、夫が父親を探し出して盛岡の家に連れてきた。義父は認知症津波の時はデイサービスにいて助かった。義母は避難所にいたが、もう義父と暮らしたくなかった。三沢から関西の親類の家に行ってしまった。もともと九州の人で関西に親類が多い。いま思えば、わたしは勤めはじめた病院もドタバタして、沿岸に行くどころではなかった。ボランティアもしていない。

でも、なにかすればよかったのだろうか。たいてい1日2日とボランティアした人は多いくて、その話を聞くけど、自分は何もしていないという劣等感みたいのがほんの少し芽生える。

 Kさんと美術館のレストランでランチをする。Kさんは、いまだに美術館の震災の記録は見ることはできないそうだ。知り合い、親戚が何人も亡くなっている。ほとんどの人が誰かを亡くし、一人ひとりにドラマがあると話してくれる。

 

 Kさんが復興祈念公園に案内してくれた。お天気が良くてすばらしい景色。亡くなった方の名が町内ごとに刻まれた碑がある。Kさんが「この人は、友人の夫」とさする。知っている人の名がいっぱいあるんだ。

 船の帆の形をした「祈りの帆ーセイルー」の中には祈りの場があり、湾が見える。Kさんがしばらく祈っていた。

 

 

「時間があったら、大島に案内したのに」とKさん。わたしは14時からのリアスアーク美術館でのパフォーマンスを見に来たので、美術館にもどる。「新・方舟祭」というイベントが開催中で、そのなかで、「気仙沼自由芸術派 朗読パフォーマンス」というのを見に来たのだ。

前から知っていた及川さんもゲストに出るという。お手紙でやり取りはしていたけど、はじめて会う。なんとも自由で柔らかい人。朗読もよかった。詩誌「霧笛」の千田ファミリーは声が良くてうっとりする。及川さんが畑のトマトや貰い物の梨やブドウを渡してくれる。ゆっくり話したいけど、16時15分の電車で帰りたいのでお別れする。

 帰りは一関駅での待ち合わせの時間が長かった。盛岡行きの新幹線に乗る人もいた。新幹線に乗りたくなったが、ホリデーパスは新幹線の乗車券にならないのであきらめる。一関駅から盛岡駅までは混んでいる。一列のシートに座りながら、「まだ北上か」などとホームを見て駅名を確認する。各駅は長いなあ。でも昔は総武線で通勤したこともあるではないかと思う。お金がなくて一時期実家にもどって、飯田橋まで通ったことがあった。遅い時間に総武線の各駅電車で千葉駅、乗り換えて外房線。朝は始発なのでわたしは座れたが、超満員の電車で出勤。よくあんな生活ができたものだと思い出す。ヒールのある靴も履いていた。若いからできたのね。

高校のときも電車通学。予備校は水道橋。大学は御茶ノ水。住んでいたのは学芸大学。結婚したのは小平市。その後は八王子に引っ越し。総武線に山手線、東横線に中央線。毎日の生活に電車があった。岩手に住んでからは、車生活。車ばっかりになると、待つ力がなくなってしまうのかも。歩くことも少なくなる。

 そんなことを考えながら盛岡に着いた。20時7分。駅から家まではタクシーに乗ってしまった。

 朝ドラの「おかえりモネ」を見ていなかったので、寝る前にNHKオンデマンドで「おかえりモネ」を見はじめる。ぜんぶ見るには時間がかかりそう。