映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」
先日、この映画をみるために雨の中、仙台へ行きました。
『原発を止めた裁判長 原発をとめる農家たち』 監督:小原浩靖
主役は、樋口英明元裁判長。
「2017年8月、名古屋家裁部総括判事で定年退官。2014年5月21日、関西電力大飯原発3・4号機の運転差止を命じる判決を下した。さらに2015年4月14日、原発周辺地域の住民ら9人の申立てを認め、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定を出した。」
という人だ。樋口さんは定年退職後は原発の安全性に関する講演をしてまわっている。樋口さんが説明する原発の耐震性が脆弱なことを指摘する。一般住宅より低い。それを「安全だ」ということに疑問を呈する。
樋口さんの判決文の最後に書かれてある言葉が素人のわたしにもわかりやすく、胸に落ちる。
他方,被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性,
コストの低減につながる と主張するが(第3の5),当裁判所は, 極めて多数の人の生存そのものに関 わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論 に加わった り,その議論の当否を判断すること自体, 法的には許されないことであると考 えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと, 本件原発の稼 動停止によって電力供給が停止し,これに伴なって人の生命, 身体が危険にさ らされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況である といえる。 被告の主張においても,本件原発の稼動停止による不都合は電力供 給の安定 性,コストの問題にとどまっている。 このコストの問題に関連して国富の流出 や喪失の議論があるが, たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が 出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく, 豊かな国土とそ こに国民が根を下ろして生活していることが国富であり, これを取り戻すこと ができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。 また,被告は,原子力発電所の稼動がCO2(二酸化炭素) 排出削減に資す るもので環境面で優れている旨主張するが(第3の6), 原子力発電所でひと たび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって ,福島原発 事故は我が国始まって以来最大の公害, 環境汚染であることに照らすと,環境 問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違い である。
「国の富」とはなんだろう。この大地であり、住んでいる人間や動物たちではないかということ、それを一時の金儲けと比較できるだろうか。樋口裁判官の言葉をきちんとマスコミが伝えれば、誰にもわかることだと思うのだが。
原発の事故は、わたしには恐ろしかった。山の家はホットスポット地域で、山菜も茸も食べてはダメ、薪も燃やしてはダメと言われた。うちもまわりの年寄りも守りはしなかった。でも、町の人にタラの芽のお土産を配ることは、あれ以来していない。
福島の原発事故はいろいろな偶然が重なって、あの程度の事故におさまった。もっと大きな事故となる可能性があった。そのときは関東から東北は住めなくなる。それだけの人口がどこに避難するのだろう。
ニュースで原発の安全審査の話をしている。避難計画をきちんとしているかどうか。
いやいや、そんな避難をしなくちゃいけないものを作るなよ。怖すぎるではないか。普通に冷静に考えて、原発はやめた方がいい。
自然エネルギーの可能性を研究し、わたしたちはダウンサイズな生活をしていく。省エネを本気で進める。自動販売機はいらない、店も遅くまで開けなくてもいい。ヨーロッパなどでは土日に店が閉まっているとか自動販売機ないとか、聞く。便利さの追求はやめたい。そのためにも長時間労働を改善して、平日に買い物や料理をして、土日はゆっくり過ごせるようにしたい。
生活や制度を変えることが必要で、映画の公判では、農家の人たちの姿が描かれていて希望が見える。
山を崩しての太陽光発電システムには抗議の声が上がっているが、山を崩さないで太陽エネルギーを得る方法もある。考えていけばできることはいっぱいあるように思う。
しかし、企業や役人は今の地位や利益を守ることを優先させる。
日曜日には、福島原発告訴団団長の武藤類子さんのお話を聞く機会があった。
福島は原発事故も復興の利権に群がっている人びとがいることを指摘する。事故前は安全神話をばらまき、事故後は放射能は怖くないと啓蒙活動をしていく。箱モノは立派になり、福島の復興を謳いあげ、子どもたちにこれほどの甲状腺がんがでているのに、因果関係を認めない。国策として原発振興していた国の責任がないのはおかしい。
でも、国もマスコミもいろいろな勢力が福島を忘れさせるのに必死のようだ。
福島はいまだに「原子力緊急事態宣言」が解除はされていない。解除できない状況が続く。
福島県民の放射能の安全基準は、20ミリシーベルト以下。ほかの日本国民は、1ミリシーベルト。
福島へ戻らない人たちをなんで私たちが何か言うことができるだろう。住んでいる人たちは悩みながらも生活している。
それでも、わたしもニュースを聞いているだけだと、福島の現状はよくわからない。だんだん復興しているようなイメージも持ってしまう。マスコミはいいニュースしか伝えない。オリンピックのためには弱い人たちは切り捨てられていった。
もういちど福島を考え、原発のことを考えないと、日本はディストピアだと思う。今だけ自分だけの利権を貪り食う人たちは、いちばん儲けるのは戦争だと気がついているだろうから。戦争は怖い。こんなに原発があるのだ。
むかし、ある年寄りから「日本はあの敗戦を立ち直ったのだ。日本人はどんなことも乗り越えられる」と言われたけど、戦敗れて山河ありだった時代ではない。山河が近寄れないものになり、故郷に帰れなくなるかもしれない事態になるのが日本の現状だと思い出さないといけない。