胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

角館 ・私信

 Yちゃんへ
 この写真、わかりますか。角館プラザホテルです。
 私たちは20年以上前にここに泊まったという記憶があります。
 最上階の回るレストランは今は動かないで、宿泊客の朝食用レストランになっているとのことでした。でも、まだ営業していたのです。
 秋の平日に1日お休みがあったので、角館にドライブしてきました。
 角館は20年以上ぶりに訪れました。
 20年以上前、訳あって秋田県の観光課の招待で冬の秋田に2人で出かけました。Yちゃんは南国出身だから雪をはじめて見たんだと記憶しています。
 角館に行って、「火ぶりかまくら」という行事が2月14日とわかりました。私たちはその日に角館について、夜はそのお祭りを体験させてもらったのでした。
 あの時は、東北新幹線はまだ上野が始発だったと思います。頂いたチケットがグリーン車で、初めてグリーン車に乗ると喜んだのでした。盛岡で乗り換えたはずですから、私が盛岡に足を踏み入れた最初の体験です。あの時は、盛岡に、東北に住むなんて夢にも思っていませんでした。
 盛岡に住んで、角館は近いから行きたいと思っていました。角館に近い田沢湖乳頭温泉には家族で遊びに行っていました。私は「角館に行きたい」と希望を出すのですが、うちの男たちは山と温泉しか興味がなくて却下されていました。
 でも、いろいろ思い出すのにはひとりで来て良かったです。
 それから、田沢湖スキー場で初めてのスキーもしましたね。そのとき、20年後にスキーが大事なものになるとは思いませんでした。あの時は、ただ怖かったように思い出します。
 後は横手行ったのだったかしら。思い出すといろいろ覚えているものです。
 角館の観光の町並みは小さくてホテルから武家屋敷も近かったです。あの時の角館を案内してくれたお役所の人は、とても感じのいい人でした。どこかで元気に過ごしているのだろうかと思いました。
 Yちゃんは南へ帰ってしまったし、私は北で生きています。なかなか貧乏暇なしなので南の島をたずねることができないでいます。

 そうそう、クラスメイトには角館出身の学生さんがいるのですが、今年20歳です。私が角館に行ったときは生まれていなかったのね。なんだかすごく長く生きたような気がしています。でも、まだまだ生きていつか会いましょう。