胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

うちのご飯の60年

うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓

うちのご飯の60年―祖母・母・娘の食卓

 先週、東京行きの新幹線の中で読んだ本です。昭和の時代の食卓の風景は懐かしいものがあった。私は、母の山形の実家の食べ物が好きだった。しめじの茎の煮付け、自家製味噌、漬物等々、大根や柿を干した風景が好きで写真を撮り集めたりしていた。そのせいで、岩手の山の中で暮らし始めたようなもの。従姉は、田舎の食べ物が一切だめだった。祖母の家では何も食べない。仕方ないので山形の街まで車で洋食店を探したのだった。彼女は今は海外で暮らしている。食べ物って好みがあるのだなと思った。
 どちらかというと、きちんとご飯を作っていた方かもしれない。野菜だって味噌だって作っていた時期もある。うちは夫が家で仕事するので、昼ごはんだってきちんと作っていた。しかし、私の方が勤め人になった今、なかなか思うように料理は出来ていない。買い物にもゆっくりいけない。残業もある。朝4時には台所に立って、男子二人分の弁当と朝ご飯と夕食用のおかずを1品ぐらい作る。でもね。夕方は疲れきって台所に立つのも面倒になる。買ったもので済ませること、生協で宅配してもらう冷凍食品済ませることが多くなってきた。世の中の働く母はどういうふうにやりくりしているのだろう。私は夫が家にいるので、買い物頼んだり、味噌汁作っていたり、炒め物ぐらいはしてくれる。職場で昼ご飯を食べているとき、「盛岡は中学給食ないから、隣町に引っ越した友達がいる」「なんで盛岡だけ給食ないんだろうね」と嘆いていた。ほんと、最近お弁当作りも行き詰っています。
 愚痴になってしましましたが、食べる事って私には一番興味ある分野でもあり、悩みの種でもある。