胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

イタドリ

朝5時に朝市までのウォーキングを再開しています。最近、腰痛が出てきてしまいました。経験から腰痛には歩くのがいいのです。
いまは、カフェで障害を持っている人たちと働いているのですが、忙しく身体を動かしているようですけれど、歩くというのとはまた違いますね。

ゆっくり桜を愛でている暇もなく、ご近所の庭にはライラックハナミズキが咲き、大通りのトチノキを見上げると花をつけているではないですか。春を通り越して初夏に向かっています。

トチの花を見ると、すがすがしい感じをいつも持ったのに、昨日の私は目をそらしてしまいました。見たくない。春をまだ感じていないのに、夏じゃないか、どうしてくれるんだ。トチノ花が咲いている事実をなかったことにしていました。
精神的に悪い兆候です。
それほど、この春は忙しかった。
職住近接で楽なようですが、いつも仕事している感じです。
どこかで区切りをつけよう、なまけものになろうと思っています。

今朝の散歩では、イタドリが伸びているのが目に入りました。犬の散歩コースですが、高く伸びています。上の方なら犬のオシッコもかかっていないでしょう。少し摘んで、茹でてオリーブオイルで炒めて食べました。少し酸味があって美味しかった。自分の料理が案外おいしいのだと気が付いたこの頃です。
もっと季節を楽しむために岩手に来たのに、仕事ばかりで少しつまらなくなっています。
イタドリをとりながら思ったこと。
「せっかく障害をもって、障害年金をもらえるのだし、みんなもっと自由に生きていいのに」ということ。
職場は就労支援の場ですが、目標は健常者のように毎日きちんと働くこと。なんかつまらない目標ですね。
いやいや、せっかくベーシックインカムあるのだから、もっと好きなように生きたらいいと思います。
彼らを普通の生活に矯正しようとしてきた支援者がいけないのかも。制度的にもそう。障害者が毎日来てくれて、施設にお金が入ります。一般就労することだけが目標なのだろうか、といつも思います。
私は、お金があるならひきこもっていたい。
今まで知り合った障害を持っている人は、本当によくやっていて、素敵なのに、「自分はまだまだ」「あの人よりできない」「社会保険のつくお勤めをしなくちゃ一人前ではない」という自己否定と固定観念に縛られていて、それをほぐしていくのが大変です。
 私は、ずっと自営業で、払っていない時期もあるので、年金額が障害年金2級よりも低いです。障害を持っている人が言う「普通の人」には入らないんだなと苦笑いしてしまいます。

 そういうわけで、春なのに私も自由になれていないです。