ジャッカ・ドニフ
- 作者: 津島佑子
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2016/05/02
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (4件) を見る
「ジャッカ・ドニフ」とは、トナカイ遊牧民ウィルタの言葉で、「大切なものを収める家」という意味だそうだ。
小説は、「あなた」がひとり北海道を旅し、亡くなった息子と小さな資料館である「ジャッカ・ドニフ」を訪れ、ゲンダーヌさんに会ったことを思い出すところから、お話がはじまる。
大事な息子を亡くした痛みが響き渡る。
その響きは、もうひとつの物語につながっていく。
アイヌと日本人の混血であるチカの海の旅へと北海道から長崎、マカオからジャワまでの旅を描く。今話題の南シナ海がどのような位置にあったのか、少しわかってくる。
そうして、物語がキリシタンへの弾圧、日本人でないものへの殺戮を教えてくれる。
津島佑子の最後の小説ということだが、彼女が書きたかったのは自由に飛んでいきたい魂と、なぜこれほどまでに残虐になれる日本人がいるのかということではないだろうか。
また、同じことが繰り返される下地が私たちにある。
ジュリアンはつづけて言った。
―…町のひとたちがそこまできりしたんを憎むのも、わたしにはようわからんべよ。すでに、処刑されとるんやから、そいでもう、充分やないか。お上からきりしたんが禁じられているというても、町のひとたちまでそんげん憎しみのかたまりになるっちゅうのも、ひどくつらか。きりしたんはもはや、町の人たちの眼には、人間ではのうて、動物以下の邪悪な存在にしか見えなくなっとるんか?
ペトロが深い息を洩らして言った。
―…憎しみがうえから与えられて、そいに身をまかせるのは、まっこと、気持ちよかごたるし、いくらでん伝染するんや。憎まなけりゃならん理由なんぞ、だれも知らん。知りたいと思っちゃいない。チョウセンを攻めたニホン人もチョウセン人に対して、同じやったそうな。憎しみというより、残酷さを楽しむ心が、人間にはもともと隠されておるんやろうな。
―ああ、おとろしか。
カタリナが泣き声で言った。
私は、日本が戦争に巻き込まれて一番恐ろしいことは、日本人がこの恐ろしい残忍な性質を表してしまうこと。すでにネットの世界ではそういうこともある。
物語では、原住民を殺し支配してきたオランダ人たちでさえ日本人の残虐さには呆れて、「品位がない」と言わせたりしている。
品位を大事にする国と言われるのに、いざとなると品位や人間への敬意がなくなるのが日本人であるのだろうか。
これはいろいろ考えないといけないのかもしれない。
最近、読書らしい読書をしていなかったので、先々週、東京へ行く新幹線の中で読もうと、久しぶりに新刊を買った。それに津島佑子の本を読むのは初めてである。
物語力に驚かされ、物語の中につかってしまうという楽しみが得られた。
鳥になって、この島を出たくなる。