胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

藤原てい『流れる星は生きている』

 

流れる星は生きている (中公文庫)

流れる星は生きている (中公文庫)

  • 作者:藤原 てい
  • 発売日: 2002/07/25
  • メディア: 文庫
 

 『流れる星は生きている』  藤原てい 昭和24年5月刊 日比谷出版社

                   昭和51年2月刊 中公文庫

 

 8月15日の敗戦の日あたりにNHKラジオで放送する恒例の高橋源一郎が戦争関連の本を紹介する番組を毎年聞いていて、今年の放送で藤原てい『流れ星は生きている』が紹介されて、読んでみたいと思った。

 今年の放送の反響を紹介するサイトがありました(下記)。でも、この放送の聞き逃しサービスは終了したようです。

 藤原ていの名は聞いたことがあった。夫は有名な山岳作家、新田次郎である。次男が数学者の藤原正彦。前によくテレビにも出ていた面白い学者さんである。そういうこともラジオで知った。藤原ていが『流れ星は生きている』を書いたことに影響されて夫も小説を書き始めた、と高橋源一郎が話していた。

 この小説は、中国からの過酷な引き揚げの物語である。夫は別の収容所か強制労働に連れて行かれてしまったため、ていが幼い息子2人と乳飲み子の娘を連れて日本に帰るためにどんな生活をし逃避行をしたかが書かれている。めったに泣かないわたしも最後に上諏訪の駅に帰ってきて実家の家族と会う場面は泣いてしまった。

「あとがき」が印象に残る。新田次郎である夫が死んで4年が経つという。ふたりは書斎は別だが1日一緒にいるのでよくケンカした。

 しかし、そんな時でも夫に向かって決して言ってはいけない言葉があった。

「何を言うんですか。わたしはあの引き上げの時、幼い三人の子供を立派に連れて帰りましたよ」

 とは。これを言わなくても、夫はすべてを承知していたし、どれほど心の奥で、それを痛く思いつづけていたことか。追い打ちをかけるような言葉はたとえ夫婦たりとも言ってはいけないことであった。

  日本人、中国人、韓国人、ロシア人、アメリカ人。それぞれが陰険な時もあれば優しく手を差し伸べてくれるときもある。一人の人間の中にふたつの側面もある。知り合えば気持ちも通じ合う。北朝鮮の38度線を超えるために山を越える。向こうへ行けばアメリカがいて助けてくれると信じている。たしかにアメリカ軍が難民キャンプを作っていて、医者も食料も用意していた。アメリカと戦っていたのだけどアメリカを信じていたりする民衆なのだった。日本軍は日本人をさっさと捨てて帰ってしまった。日本軍は信用されていない。同じ引揚者でも軍関係者は食料も事欠かない。でも、他人に分け与えることはしない。ソ連兵は怖い怖いと思っていたけど、気のいい兄さんたちであったりする。国と人は違うのだと教えてくれる本でもある。とにかく生きろ、なにがあっても生きていさえすればと。わたしたちが難民になる日は絶対にこない、飢える日がこないとも限らないけど、こんな強さが持てるだろうか。