胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

チョ・ナムジュ著『82年生まれ、キム・ジヨン』

 

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

82年生まれ、キム・ジヨン (単行本)

 

 話題になっている『82年生まれ、キム・ジヨン』。買っていたけれど積んだままだったので、病のベッドの中で一気読み。読みやすい。

 

読むとじぶんが女に生まれて理不尽な思いをした数々を思い出す。

 

弟が長男として大事にされていた。

うちは母子家庭になり、母がよけいに男である弟を頼りにしたかったからかもしれない。

弟は小学生。でもうちの表札には弟のなまえ。男の名のほうが世間的に安心感があるという理由だ。

祖父の葬式では、お膳に座れるのは弟。わたしは台所で下働き。

家でも働く母の代わりに家事はわたし。ある日弟に食器洗いをさせたら、母が怒ってわたしに茶碗が投げられた。

弟を名前で呼ぶ。母は「さん」をつけろと、大人になってもわたしに注意する。わたしは無視する。

 

わたしは成績が良かった。昔から本を読むことと映画を観ることしか能がなかったから。友達いないので、勉強しかないのは今も同じ。でも、

母から「弟が理科系の大学行くから進学はあきらめてほしい」と言われ、郵便局を受け家を出て横浜に行った。

でも、仲良しは大学生活を謳歌している。ドイツ語とか未知なものを勉強している。うらやましい。夜間大学があることを知って、局長に「夜間大学へ行きたい」と言ったら、「女は勉強しなくていい」と言われ郵便局をやめた。それを母からいくつになってもぐちぐち言われる。「公務員を辞めるなんて」。

半年で郵便局をやめ、半年独学して夜間大学に受かって楽しく過ごした。

デザイン会社や編集プロダクションで男の人中で働いてきたけど、パワハラやセクハラはなかった。どちらかというと奢ってもらい良くしてもらった。その中に夫になる人もいたし、尊敬できる人も面白い人もいた。バブルで景気が良く、人の心に余裕があったころなのだ。

 

小学生から痴漢にも散々あった。

映画館が居場所だったけれど、痴漢の手を殴りながら観ていた。

仕返しとか怖くなかったんだね。強かった。

でも怖いこともあった。

 

夫は家事も子育ても私よりできるし、息子たちも料理してくれる。長男の婚約者は料理ができないそうで、息子がやることになりそうだとのこと。

でも、田舎に住むとびっくりすることがある。

となりに住むわたしより若い妻は、夫が仕事の1泊旅行にいくときに、「窓の掃除と車の洗車をしておけ」と言われた。そのころはその夫の両親も生きていた。夫が旅行でも家事の量は変わらない。わたしがもしそんなこと言われたら、大ゲンカだ。殴っている。

 

神様に「どうぞ息子にしてください」とお願いしたのは、女はめんどくさいと思ったからだ。

でも、息子2人産んだことは、夫の親戚の評価が高い。夫の従弟は「俺のところは女だけだ。最後に結婚して男の子2人つくり、あんちゃんはすごい」と夫をほめる。産んだのはわたしだけどね。

 

わたしは60年代生まれ。この本が売れているということは、1980年代生まれの女性だけでなく、2000年代生まれの女性も悔しい思いを抱えているってことだ。医大入試で女子に対する差別をみてもなにも変わらなかったどころか、後戻りしているように思える。