胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

伊藤比呂美『たそがれてゆく子さん』

 

『たそがれてゆく子さん』 伊藤比呂美 (中公文庫)

 

きのう本屋で別の本を探していたけど、この本をまだ読んでいなかったと買ってしまい。1日で読む。

著者と同年代である。『良いおっぱい、悪いおっぱい』からお世話になっている。伊藤比呂美さんの本を読みながら、自分のやり方は悪くないんだ。がさつで何が悪いと励ましを受けた読者はあまたいるだろう。

そして今回は、還暦を越えて夫の死を迎える。ひとりになる。

肉体的に精神的に下降していく自分、あらがい楽しむ自分、自分に鞭打って進むしかない。止まれば動けなくなってしまいそう。そんな伊藤比呂美にまたまた共感しながら読んでいた。

 いちばん誰しもそうなのかと安心したところ。料理をしなくなること。

 わたしはまだ夫がいるが、息子たちがいたときのように料理をしない。つくることは作るが、大根の煮物に厚揚げを焼いて大根おろしを添えたのがいちばん美味しいという感じで、シンプルなものしかつくらない。

 むかしは生協の宅配で食料を買い、冷蔵庫も冷凍庫もパンパンだった。いまはすかすかである。そんなに買いだめもしない。なければ納豆ご飯でいい。夫が山の家へいっていてひとりな時は、本に書かれているような感じなのだ。

P70「今は同じものばかり食べている。グラノーラ。牛乳。卵。バナナ。ブルーベリー。アーモンド。アボカド。昼も夜も朝食のようなものを食べるだけ。」

 ほとんど同じ。アボカドではなく納豆ご飯がはいる。味噌汁も作らないで、納豆ご飯+卵かけて、たんぱく質は摂ったことにする。朝昼晩これでも不満ない。お菓子は食べている。お弁当買っても美味しくない、外食はお金かかるし美味しくなかったらがっかりだ。インスタントラーメンも好きだけど、胃にもたれる。グラノーラでなければ、お粥を炊いたりもする。

 高齢者の一人暮らしの方できちんと三食つくって食べていた人がいたが、偉いなと思う。きちんと食事しなければと思うけど、夫がいないとAmazonプライムでドラマを見ながらグラノーラを食べている。

 わたしも料理好きと知られていたのだ。お客様をもてなしもした。お菓子も作った。

 そういうのがいっきに終わってしまった。息子たちがいなくなったせいだけではないかもしれない。疲れたのだ。なにもかも過剰だった。子どもを腹いっぱいにさせることが使命で、お客さんにも美味しいものを食べてもらいたかった。

 息子たちが帰省してもお客が来ても、むかしのようには料理ができなくなっている。シンプルなものだけ。あの力は湧いてこないのだ。この本を読んで、そういうものなのかもしれないと思う。

 もう「料理しない人」と認識してもらおう。

 長男が妻に母の料理自慢をしたらしく、結婚する頃に「お母さんの料理が食べたい」と言っていたらしいが、もう終わっているので、長男夫婦が来てもジンギスカンしかしていない。

 ジンギスカンというものはありがたいものだ。

冬は薪ストーブでジンギスカン