胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

徐京植『プリーモ・レーヴィへの旅』・プリーモ・レーヴィ『アウシュヴィッツは終わらない』

 

NHKオンデマンドで「こころの時代」のアーカイブ「フクシマを歩いて」を見た。

徐京植という作家を知らなかった。オルテガの訳者だった佐々木孝さんも知らなかった。プリーモ・レーヴィも知らなかった。

あまりに自分の無知に穴に入りたい感じの冬であった。

行き当たりばったり本を読んでいても頭がまとまらないので、放送大学の選科生になって、哲学と政治学の科目を取ることにした。

またやることを増やしている。

monodialogos.com

梅を干す

去年、下記の詩を県の芸術祭に送ったら、入選していた。

はじめて応募した。無料だし、メールで送れて簡単なところが良かった。

芸術祭の冊子ができたようなので、本屋で立ち読みした。(ただの入選者には送ってくれないようだ。)

評には、途中からSFになっていて、意見が分かれたが・・・と書いてあった。(少しうろ覚え。)

SFではないよ。世界中で難民があふれている。ウクライナの難民には世界中がやさしいけれど、それでもみんな家と今までの生活を捨ててくる。それがどれほどのことなのか。まだまだ想像もできない。福島で避難した人たちも難民だ。梅干しや漬物の甕もそのままだったろう。廃墟の中で見つかっても、放射能で食べたらいけないと言われるかもしれない。

こんなに虚しくも悔しいことがあるだろうか。

 

 

梅を干す

           

梅雨があけた

太陽が痛いくらいの光線を浴びさせる

いまだいまだ

大きな笊に塩漬けにした梅を並べる

ときどき梅をひっくりかえす

ぜんたいに太陽光線を浴びて

百年先まで生きのびる食べ物をつくるために

冷えたご飯に梅干しを置き

紫蘇に茗荷をのせて

ひえた茶漬けにする

梅干しを小さな甕に入れ、

戸棚の奥におく

毎年貯めた非常食

百年後に希望はあるか

だれもがしあわせに

ユートピアはあるだろうか

それとも緑に覆われた

廃墟の中から

梅干しは出てくるだろうか

難民となるときはなにをもっていく。梅干しをリュックの底に、スマホと一緒にいれておく。米も大事だ。「あまりたくさんは持てないよ」と母さんはいう。

空襲がはじまる

はやく逃げなさい

逃げたって放射能は追いつてくる。海岸に出た。船を待つ人でいっぱいだ。座りこんで、

持ってきた梅干しのおにぎりを食べる。食べる前にスマホでおにぎりの写真を撮る。となりで女の子がうらやましそうに見ている。

わたしはガシガシ食べる。

このあいだまでスーパーにはあふれるほど食べ物があった。お金さえあればなんでも買えた。震災や台風で食べ物がなくなることもあったけど、すぐに平常にもどった。こんどは少しちがうなと思っているうちに、すべてが変わっていく。

「国連が助けに来てくれる」と誰かがいう。

船は見えず、飛行機も飛ばない。スマホでニュースを聞きたいけど、充電ができないのでやめておく。

リュックを抱きしめてじっとする。代わりばんこに寝る。寝ている間に荷物を盗られないように。むかしむかし、外国の海をわたった難民の救命ベストがいっぱい重なった写真をみたことがある。海で死んでいった人たちのベストだ。

「それはゴムボートだからよ。わたしたちはしっかりした船に乗るの」「乗ってどこへいくの?」「わからないわ」

かの地には、梅の木があるだろうか。わたしは梅おにぎりの写真をSNSに投稿する。「元気でいます。これから海をわたります」

そう書き添える。見てくれる友達はいるだろうか。

真っすぐ暖かい太陽の下に並べた梅

使い込んだ笊

百年後に残るもの

映画『戦争と人間』

 

『戦争と人間』は、1970年から1973年に公開された戦争大河ドラマ。監督は山本薩夫、原作は五味川純平。キャストは、当時のスター俳優が勢ぞろい。

 私としたことが、この映画を観ていなかった。満州のことを描いている貴重な映画だ。それにしても浅丘ルリ子が美しい。吉永小百合がかわいい。栗原小巻もこんなにチャーミングだったのか。みんな若くて初々しい。先日の「ビルマの竪琴」でいい男だった三國連太郎は汚くて、三國連太郎らしくなっていた。

一部ずつが3時間以上の映画なので、2日間かけて観たけれど長さを感じない。第3部はノモンハンの戦いでソ連に負けて撤退していくところで終わっている。登場人物たちが終戦まで生きのびるのかどうか知りたい。あまりにも中途半端なと思ったら、第4部を製作する予算がなかったので作られなかったそうだ。結末を知るには原作を読むしかないか。それにしても、亡くなった俳優たちばかりだ。石原裕次郎も外交官の役で出ていたが、関東軍の横暴をおさえられない役だった。伍代産業の番頭役の高橋幸治も懐かしくいい役者だと思った。

 

 

 

北林谷栄『九十三齢春秋』

 

 

古本屋で北林谷栄さんの本を見つけて買ってしまう。

なつかしい役者さんだ。老け役といえば北林谷栄であった。

ずいぶん若い時分から老け役を演じた。

そのきっかけは、宇野重吉久保田万太郎演出の舞台での老け役に、北林谷栄を推薦してくれた。

宇野重吉北林谷栄は左翼劇団出身。大政翼賛会久保田万太郎宇野重吉をいじめるので、「重ちゃんに恥じをかかせられない」と工夫して老け役を演じたそうである。

俳人として知っている久保田万太郎は翼賛会だったのか。

でも、あの頃はそうだったのだな。

 

北林谷栄さんの映画を見てみようと、1956年版『ビルマの竪琴』をみる。

思ったよりいい映画だった。

主人公の水島上等兵役の安井昌二の演技は純真さがあって嫌味がない。

三国連太郎も涼し気ないい男だったのだな。

そして、日本語ができる現地の物売りのおばあさん役の北林谷栄は、画面に出るだけでほっとするユーモアがある。

きっと現地の人の研究をしたのだろう。

彼女は地方の旅公演に行ったときに朝市を見て回るそうだ。そこで気に入った衣装を着ているおばあさんに、その服をもらう。おばあさんを洋服屋に連れて行って、新しいのを買ってあげて交換する。そうやって老け役の衣装も集めていたと書かれてあった。

研究熱心で肝の座った役者であった。

 

 

3月になったのに雪

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きょうは3月6日。啓蟄も過ぎたのに夜から雪が降っています。今週は暖かくなるようだから、さいごの雪となってくれるだろうか。

白鳥たちも帰り支度に忙しい。朝方に騒がしいと思って窓を開けたら、100匹以上いる白鳥の大群が飛んでいる。

1カ所に100匹もいないから、あちこちにいる白鳥は待ち合わせして、みんなで帰るのだろうか。大勢の方が心強いのかしら。あんなに鳴いているのは、なにか打ち合わせをしているのかな。「どこで昼飯たべようか」「あそこで腹ごしないしていこう」「まだ来ていない群があるんじゃないか」。

白鳥は20年くらい寿命があるようなので、毎年長旅をして景色も知っているのだろう。白鳥たちにも安全な空でありつづけるように。

 

なんだか気が滅入る。

1月から「note」というところに日記をつけてみた。パソコンにも日記はつけているけど、ネットに置いておけば間違って消えることもないだろうと考えた。

わたしも1月からはライターの仕事にもどったし、クリエイターが「note」を利用していると聞くので書いてみたが、うるさくてやめた。

なにがうるさいかというと、「バッジを獲得しました」といちいちでてくる。バッジの意味がわたしにはよくわからなかった。フォローされたり「いいね」されたりする。フォローしてくれるのは、なんか投資しようとか、メンタル系の人たちで、自分のフォローを増やすためなのか考えてしまう。「いいね」してもらったら「いいね」してあげたい気持ちにもなる。

そうしてわたしにおススメの読み物もいっぱいでてくる。

もちろん興味があるものもある。みなさん素敵な写真に記事にすばらしいのだ。時間かけてつくっている。でも、読む暇もない。

ぜんぶ読んでいたら、時間が足りない。

そうして、その時だけですぐに忘れてしまう。

本を読むほうがいい。

ああ、面倒だと退会した。記事も消えたが、あいかわらずたいしたことは書いていないので捨ててしまった。

 

Facebookも面倒だ。

ほんとうに顔の知っている知り合いだけだから、あまり目新しいこともない。みんな、美味しいものを食べていていいなと外食しない私がうらやましく思うだけだ。

好きなのはTwitter

いろいろなTwitterをフォローをしていると、本や映画の情報が入って来て、読みたい本が増えていく。世間知らずのわたしには勉強になることも多い。

少しはTwitterに影響力はまだあるのかもしれないと思っている。

 

そういうわけで、たまにはこのブログに書くのが一番いいと思う。

ここのところ気が滅入ると、ただひたすら本を読み、映画を見ているけれどブログにつけることもしなかった。

仕事用の原稿を書いていると、ほかのことができなくなるせいもある。

編集部に送って、OKをもらったけど気分が良くならないのは、この仕事のあと何をしたらいいかわからないからだ。

はっきりいって仕事がない。たまたま介護関係の単行本の仕事が夫に来て、私の方が書けるだろうとまわってきたので、しこしこ認知症のことなど当たり前のことを書いている。当たり前だけど、精神保健はわたしがやってきた分野なのでサッサと書いて締め切りのだいぶ前に終わりそうだ。

でも、そのあと書くことが決まらない。

 

趣味の詩と俳句は書いている。

評論優秀賞をもらった俳誌がエッセイ連載の仕事をくれた。

賞を取るというのは大事なんだなあ、と身に染みる。

いままで応募ということはしてこなかったので、考え直すことにする。

某詩人の通信の詩の教室に詩も送ってみた。添削はほめられて返ってきた。

それも面白くないのかもしれない。

ただただ書き続けるしかないのだ。

孤独である。

喋るのも夫だけだけ。でも、お金になる原稿以外のことは夫に話したところでどうにもならない。自分で書いていくしかないのだ。

行き詰まると、映画に逃げている毎日である。

財部鳥子『天府冥府』

 

『天府 冥府』 財部鳥子 (講談社)

 

 詩人・財部鳥子の自伝的の小説である。

「天府」は満州のジャムスのホテルに暮らす一家の様子が描かれる。中国人に囲まれゆったり時間は流れる外で、匪賊の中国人の死体が転がっていたりする。幼い目で作者は見つめていく。

「冥府」は一転して、難民となる。日本は負けた。弟が無邪気に「神風は吹かなかったね」という言葉に大人は何も言えない。ソビエト軍が進行する中の逃避行。主人公は頭を坊主にして少女であることを隠し少年となる。少年となり空き家荒らしをし、得体のしれない中国人とも知り合いになる。考えることは食べることである。団長だった父も妹もチフスで死んだ。父が死ぬと母は「もうびくびくしないですむ」とつぶやく。父は偉い人でDV男でもあった。

財部鳥子は母と弟と日本に帰つてきたが、自決した団の人たち、殺された人たち、誘拐されて犯されて殺された女性。ふだん威張っていた男たちは女性を守るどころか、女性を差し出して生き延びようとする。男も兵隊も役立たず。あんなに威張っていたのにね。

これらのことを財部鳥子が見てきたといっても、日本では理解してくれる人も少なかったのだろう。修羅場を潜り抜けてきた人ではないとわからないことがある。だからこそ、詩を書くしかなかったのかもしれない。

小説はこれ1冊である。

 

 

満州について書かれた本はたくさんあり、どれも悲惨であり日本の愚策の結果は庶民が苦しむことになる。満州の手記を読めば、満州に行けば家や広大な畑つきだといわれて、農家の次男三男は夢を持って大陸に渡ったとある。そういう方の手記には、次のように書かれていることが多い。自分たちは中国人を家から追い出しそこに住んだのだ。そんなこととは知らなかった。匪賊といっても、中国人に恨まれるのは当然だ。自分たちの方が強盗だったのだ。戦後になって気がつくのである。

 

夢の国は、よその国のものを奪ってつくろうとした。武力で中国人を従わせた。武力がなくなれば、仕返しに来るのは必然だ。そのなかでも、親しくしていた中国人が助けてくれた話も多い。「人には親切にしておくものだと思った」という人もいる。人間同士のつき合いとして、雇った中国人によくしていた人たちもいる。

ほんの少しは、日本人も中国人もロシア人も仲良く暮らせる雰囲気もあったかもしれないが、それは嘘からはじまった国なのであまりにもろかった。

 

ロシアにウクライナが侵攻してから10日あまり。国外に逃げる人も日に日に多くなっているようだ。日本でも昨日は新宿で大きなデモもあったらしい。ラジオで「自分の時代にこんな戦争があるなんて」という言葉を聞いた。

えっ、アフガンやシリアの爆撃があったじゃない。アメリカが大量破壊兵器があるといって、爆撃したことや、たくさんの難民がでたことは関係があるように思うのだけど、あれは戦争ではないのかな。内部抗争と思われているのかしら。ユーゴスラビア紛争はどうだろう。

それはともかく、どういう解決の道があるのかわからない。プーチン大統領のやっていることは時代錯誤に思える。権力をもつとすべてをコントロールしたくなるのだろうか。市民や兵士の死などなんでもない。偉い人はいつも生き残るのである。満州をあんなことにしたのに、だれも責任はとらない。土地から追い出した中国人や満州で苦労して逃げてきた人たちにお詫びしたとか賠償したという話も聞いたことがない。

偉い人は生き残って、自分の都合のいい歴史を語っていく。

だから、民衆のオーラルヒストリーが大事なのだけど、いまの教育では教えられないことなのだろう。

 

戦争反対の熱狂が、いつしか愛国心と「国を守るためなら戦う」熱狂に変わらないかを心配する。

 

 

映画「ニューヨーク公共図書館」

 

 

ドキュメンタリー映画『ニューヨーク公共図書館』。2017年公開作品。

監督は現在92歳のフレデリック・ワイズマン。数々のドキュメンタリー映画を撮ってきた監督だ。3時間以上もドキュメンタリーなので長いが、わりと飽きない。要所要所で著名な詩人や学者、アーティストの図書館での公開インタビューを挟んでいるので、観てしまう。それに、ニューヨーカーはかっこいい。年寄りも人種もいろいろなんだけど、深みがある大人の顔をしている。

公共図書館」とあるから、てっきりニューヨーク市の経営する公立図書館だと思ったが、違った。基本は財団が運営する民間の図書館で、市からも多額の予算がでているので、市と民間の協働事業なのだが、計画して動かしているのは財団の人たちみたいだ。

有名なクラシックな建物の本館の他にも88の地域分館や専門研究のためのリサーチ・ライブラリーがある。

いま、図書館が取り組んでいるのは、教育のようだ。教育の平等、情報の平等。誰もがインターネットに接続できるようにWi-Fiの貸し出しや、教育プログラムを行っている。ニューヨークも格差が広がり、低所得者への支援が必要だと考えている。

司書の知識はWikipediaのように、利用者の質問に答えてくれたり、調査の仕方を教えてくれる。誰もが気軽に質問する。

職員はやりがいがあるだろう。

アメリカというのは、良くも悪くも多様性があるし、正義を貫こうという人たちと、寄付をする金持ちたちがいるのだな。