胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

『歌集 小さな抵抗ー殺戮を拒んだ日本兵士』渡部良三著

 

『歌集 小さな抵抗 ー殺戮を拒んだ日本兵』 渡部良三 (2011 岩波書店)

 

 キリスト者である著者は学徒出陣で中国へわたる。新米兵士に根性をつけるため捕虜の中国人を殺す訓練をありがたくもあたえると上官はいう。筆者は迷いつつ、さいごに拒否する。自分も殺されるかと思ったが、待っていたのは凄惨なリンチの日々だった。

 それにも耐え、日本に帰国するのだが、メモや日記の類は日本に持ち込めないので、キルティングの衣類のなかに兵士だったときにつくった歌をメモした紙を隠して持ち帰る。

 それを発表したのは定年後だった。

 なかなか思い出すのも辛く、まとめられなかったそうだ。

 たしかに捕虜を殺すのは拒否したが、その後の村々の略奪虐殺強姦にただただ何もせずに傍観していた責任を感じている。彼一人で何ができるわけでもないけど、見てしまったことは忘れられない。

 

  今朝戦友(とも)と掘り上げたりし大き穴捕虜の墓穴とは思いよらざり

  

  人殺し胸張る将は天皇(すめろぎ)の稜権(いつ)説きたるわれの教官

 

  人殺し笑まいつくろう教官の親族(うから)おもえば背(せな)冷え来ぬ

 

  深ぶかと胸に刺されし剣の痛み八路はうめかず身を屈(ま)げて耐ゆ

 

  

「捕虜虐殺」の章からあげた歌だが、虐殺前後の様子がえんえんと描かれている。

 天皇の名のもとに威張る上官、尻込みする新兵、迷う著者、命乞いをする捕虜の母、堂々と殺される中国の人。地獄のような光景に信仰と神を思う。

 

 次は、「〈講演記録〉克服できないでいる戦争体験」からの引用である。

P245~

 現代は殺人に対して全く心痛みを覚えない風潮にあり、戦争中の虐殺を語っても耳をかす者は数少ない。私の経験が「五人の捕虜を虐殺した」と言うと「何だたった五人か」という表情をありありと見せる。殊にジャーナリストの世界に多かった。虐殺演習の後、八路の女密偵の拷問を見せられ、通信兵となる為に転属する朝は、朝鮮人慰安婦の急死と聞かされた出棺を見た。通信兵となって出動させられた討伐行では、八百名のうち五百名近くが戦死傷する激戦、負け戦を経験するが、その前後には、村という邑(むら)、町という街を一軒残らず焼き払う「燼滅作戦」の三昼夜、又戦闘終了後の掃討では老若男女を問わぬ皆殺しを認(み)ることとなった。生命乞いがあろうと、抗日を叫ぼうと、眉間に銃弾を撃ち込む皆殺しである。略奪強姦は、兵隊同士が互いに見張りをし、獣欲を果たせば撃ち殺し、隠れていた老人が火達磨になって逃げだしてくれば、さんざめきの中に銃を撃つ。先祖伝来の家を目の前で焼かれ、一族の眼間(まなかい)で娘や妹が強姦されてあげくの果てには銃殺される、誰が忘れ得よう。一族かたみに語りつぎ、孫子の代迄忘れる事はないだろう。忘却を美徳とする日本と日本人の習わしを、中国の政治家等が、恨みをこめて口にするのも大戦中の上記のような「天皇の軍隊」の行動を、民衆の声からくみ上げ、政治外交の根底に据えているからと考えるべきではないだろうか。」

 わたしたちもこんな目に合わせられたら孫子の代まで恨みが残るだろう。謝りつづけなくてはいけないのは普通のことだと思うのだけど、ユダヤ人虐殺に怒る日本人は、中国での朝鮮でのアジアでの行いを反省するどころか、なかったことにしているようにも見える。

 

 敗戦時に日本に逃げ帰るとき、あらゆる公文書を燃やしただけでなく、兵隊や民間人の日記などにも目を光らせた。そこまで厳しくしたのは、中国での悪行を自分たちで認識していたから証拠を残したくなかったのだろう。そして、著者のように戦争体験した人たちがいなくなったとき、本当にあったことがなかったことにされそうである。

 この本は重要な証言だと思う。

 

 著者の父もキリスト者反戦者であったため、投獄されていた。

 著者が出兵するときにつぎのような言葉をいう。

父から与えられた言葉「官吏(註・当時は国家公務員をこう呼んだ)の中には、外交官という職があるだろう。私は詳細を知らないが、国際紛争を最小限に、ましての事戦争については、限りなくゼロに近づけるべく努めるのが、外交官だと私なりに解釈している。

 そして、父は兵隊でもかの地へ行って何かできることがあるのではと話す。

 きびしい。父は日本軍の過酷さを本当には知らなかったのだろう。ただ、見たことを歌にかきとめることしか息子はできなかったけれど、この父の影響が大きい。

 

 また、外交官の役目は「戦争については、限りなくゼロに近づけるべく努めるのが、外交官」というように、外交官がそういう仕事をしてほしい。国連を脱退してくるのではなく最後まで話し合う、手練手管と根気を持ってほしいと願うばかりだ。

 

 この本におさめられた歌は、学徒出陣から敗戦と帰国後も含めて計924首。歌の良し悪しはわからないけれど、貴重なドキュメンタリーになっている。

中井久夫『戦争と平和 ある観察』

 

「100分de名著」の中井久男特集の最後に「戦争と平和 ある観察」が取り上げられた。前回のブログのつづきとなるが、指南役の精神科医斎藤環が「このエッセイで特に重要だと感じる中井の発想のひとつ」という「人は平和より安全保障感を求める」は、なるほどそういうものだと思わせる。

 

わたしたちは平和より自分や家族の安全を求める。そのために長いものに巻かれ、権力に従い、弱いものをいじめて自分の安全な地位を守ろうとする。

 

昔むかし、わたしが政治の話などをすると、母に「そんなことを言っていると、子どもたちの就職に影響するから気をつけるように」と言われた。子どもたちが高校生の頃だったか、いまほど世の中は戦前の様相はしていなかったのに、そう言うのは、お上に立てつくとろくなことがないという考えが身に染みているのだろうか。しかし、母はその前は土井たか子さんを応援して、組合活動もしていたのだ。年を取るごとになぜか不安になり生長の家というところに出入りし、保守的になっていった。そこには孤独があり、私の責任もあるのかもしれないけれど、母の願いは自分の健康(それは神経症のように健康健康と躍起になる。テレビでいいというものを食べ、情報に流される。主体性がないように見える)と家族の無事と経済的安定だけになってきた。母だけではない。そんな人が増えたように感じる。

もちろんそんな高齢者ばかりではないが、戦争の体験でリベラルになっていく人と、世界が不安定になると、経済的に自分は生き残ろうとする人にわかれていくかもしれない。持たない人は守る物もないので言いたいことを言えるが、たくさん持つ者は守るために口をつぐむしかない。

 

人間が端的に求めるものは「平和」よりも「安全保障感 security feeling 」である。人間は老病死を恐れ、治安を求め、社会保障を求め、社会の内外よりの干渉と攻撃とを恐れる。人間はしばしば脅威に過敏である。しかし、安全への脅威はその気になって捜せば必ず見つかる。完全なセキュリティというものは存在しないからである。

「安全保障感」希求は平和維持のほうを選ぶと思われるであろうか。そうとは限らない。まさに「安全の脅威」こそ戦争準備を強力に訴えるスローガンである。

〈「100分de名著」の中井スペシャル P115より〉

 

戦争こそは、庶民の安全を脅かすものだし、食べ物がなくなるかもしれないし、貯金が封鎖され、我慢を強いられる。それでも、どこかで自分は大丈夫と思っているのかもしれない。わたしも思う。田舎に住んでいれば、水と薪と畑があって生き残れるんじゃないかと。幻想でしかないけど、みんな自分だけは安全だと思いたがる。

お偉いさんと知り合いだから便宜を図ってくれる。そういうコネがある地位にいれば安心だ。ますます権力に寄って行ってしまう。コネとお友達の世界はずーとあったのだけど、先の政権から露骨になってきた。地方もコネの世界を隠さなくなるかもしれない。

 

昨日、河瀨直美の「東京オリンピック sideA」を夫とみた。「お金が入り、いい生活してしまうと後戻りできなくて、それを守らなくちゃいけないんだね。自分もそうなったら、権力におもねるかな。そうなるかもしれない」などと話していた。貯金も財産もない老夫婦のつぶやきなど、世の中は屁の河童だ。それでも、これでいいのかと思うことが多い。多くの人を不幸にすることは確実な戦争をやらないでほしいと思う。偉い人は生き残る。あなたは安全ではない。そして格差による妬みは生まれ、分断もはじまっている。

 

話は変わるけど、

夏にラジオをつけると、ニュースで何回も脱水症予防の警告が流される。「水を飲め」「冷房をつけろ」。わたしの知っている高齢者も嫌と言うほど気をつけ、子どもからは「暑い中外に出ないで」と言われる。脱水症にならないようにしたいが、国をあげての警告に脱水症になれば自己管理ができていないと非難されそうで、高齢者はがんばる。そして安心安全の為には、自分の楽しみも犠牲にする。そんなことを夏になると考えたりした。高齢者だってわかっている。それぞれが判断している。あまりにまわりがうるさすぎなくはないだろうか。裏返せば、「人に迷惑をかけるな」と言うことになるかもしれない。

 

わたしも高齢期にはいっていまだにどう生きるかがわからない。明日死んでも構わないような気もするし、長生きしてこの世がどうなるか見たいような気もする。わたしがなにを考えようと、人々は時代とともに流され最悪なことが起こるかもしれない。そうすれば神はどこにいるのかということになるけど、普通の人が働いて健康で文化的生活ができて、おだやかに死んでいける世の中であってほしいと祈るだけだ。

中井久夫「戦争と平和についての観察」

 

「100分de名著」で中井久夫を取り上げるというので、NHKオンデマンドで見た。彼の精神の病気についての様々な論考は精神科病院で働いていた時に読んでいた。精神科はひどいものだけど、たまに変わった、考える医者がいる。しかし、中井久夫がいても、精神科病院というシステムを変えるのは難しいのだろう。

 

最終回には、中井久夫の「戦争と平和についての観察」を取り上げるようだ。そのあまりにわかりやすい、戦争状態の観察にわたしは本からコピーに取っていた。コピーのもとは、『樹をみつめて』(中井久夫 2006年 みすず書房)。どこかにあったはずと、書類の中をさがす。まったく整理しなくちゃいけない。床にものを置くのは好きではないのに、床に本のタワーが3列でき、書類や切り抜きコピーが積み重なっている。年末に捨てるものは捨てないといけない。捨てるのは好きだけど、ときどきあまりに捨てすぎて後悔することがある。洋服やコートを捨てすぎて、気がついたらこの冬にあまり着るものがない。同じものを着まわしている。しかし、本は捨てるのが難しい。昔買った本が役に立つときがある。読んでなかった積読の中から読みはじめた小説に夢中になることもある。タワーは増えていく。なるべく図書館から借りるようにしているが、良い本だったら自分のために買ってしまうこともある。コピーしたり、文章を写したりしているのが面倒なので、本を持っている方が早いと思ってしまうのだ。

 

戦争と平和についての観察」のコピーが見つかって、きのう読んでみた。

人類はなぜ戦争するのか、なぜ平和は永続しないのか。個人はどうして戦争に賛成し参加してしまうのか。残酷な戦闘行為を遂行できるのか。どうして戦争反対は難しく、毎度敗北感を以て終わることが多いのか。

そういう疑問からヨーロッパのナポレオンからEUができるまでやアジアでの戦争を眺めながら、戦争に共通する様相を中井久夫は考える。

 

戦争を知る者が引退するか世を去った時に次の戦争が始まる例が少なくない。

この言葉をわたしもよく思ったけど、中井久夫の受け売りであった。

 

戦争と平和を考察する中井は、「戦争」は進行していく過程で、「平和」はゆらぎを持つ状態であるという。

戦争は有限期間の「過程」である。始まりがあり終わりがある。多くの問題は単純化して勝敗にいかに寄与するかという一点に収斂してゆく。戦争は語りやすく。新聞の紙面一つでも作りやすい。戦争の語りは叙事詩的になりうる。

たしかに戦争は物語になりやすい。小説でも映画でもテレビでも戦争の物語は多く、わたしもそんなのばかりを見たり読んだりしている。平和は物語になりにくい。日常のエッセイや小説で面白いものも多いけど、ドラマチックなものにはならない。

 

 下記に長いが「まず戦争についての観察」から引用する。

 これは日本の戦争だけの話ではない。世界共通する戦争を観察して、だいたい同じことが起こっている。俯瞰してみると、バカバカしくも哀れだが、渦中にいる人間は「われこそは」と愛国心を鼓舞する。

 日本でも愛国心を以て隣人や部下をいじめていた人たちは、軍服を脱いで大義を脱いで、どういう生き方をしたのだろう。昨日まで愛国心や玉砕を説いていた教師が、敗戦すれば民主主義を唱えたという記録文章はよく読みけれど、私たちの信念はただお上に言われれば変わるもの、変えなくちゃいけないもの。それは今も変わらない。まわりに合わせないといけない。

 

 指導者の名が頻繁に登場し、一般にその発言が強調され、性格と力量が美化される。それは宣伝だけでなく、戦争が始まってしまったからには指導者が優秀であってもらわねば民衆はたまらない。民衆の指導者美化を求める眼差しを指導者は浴びてカリスマ性を帯びる。軍服などの制服は、場の雰囲気と相まって平凡な老人にも一見の崇高さを与える。民衆には自己と指導者層との同一視が急速に行われる。単純明快な集団的統一感が優勢となり、選択肢のない社会をつくる。軍服は、青年にはまた格別のいさぎよさ、ひきしまった感じ、澄んだ眼差しを与える。戦争を繰り返すうちに、人類は戦闘者の服装、挙動、行為などの美学を洗練させてきたのであろう。それは成人だけでなく、特に男子青少年をゆうわくすることに力を注いできた。中国との戦争が近づくと幼少年向きの雑誌、マンガ、物語がまっさきに軍国化した。

 

 わかるような気がする。わたしたちはコスプレが好きである。軍服を着て自分も物語の一員になるのだ。ゲームは開始された。

 普通にいい人が残虐に人殺しになれるのは、軍服の中に人格を隠してしまえるからかもしれない。本来持っている残虐性を発揮してしまう。浅はかな自分を軍服は隠してくれる。上からの命令だけではなく、軍服のおかげで普通の人が威張り殺すことが平気になる。悪いことをしているのは自分だけではない。みんなやっている。軍服の集団の中に埋もれていく。気がつくとヒーローになるはずが、手染めの手を見ながら犬死にすることになる。それでも、国のために死んで素晴らしいと祭り上げられ物語は終わる。

あまりにもよくあることで、たくさんの物語になるのが戦争なのだけど、中井に簡潔に言われると、身もふたもなく人間はバカなものだ。

 

 実際には、多くの問題は都合よく棚上げされ、戦後に先送りされるか隠微されて、未来は明るい色を帯びる。兵士という膨大な雇用が生まれて失業問題が解消し、兵器という高価な大量消費物資のために無際限の需要が生まれて経済界が活性化する。

 戦争は、だれかが儲かる。なるべく戦争を長引かせたい。

 ウクライナに武器を供給する国。戦火は遠くでおこり「許されないことだ」といいながらも、懐に金がはいる。そういう当たり前なことは、ネット社会でいくらでも言及されているのに、わたしたちは単純な物語のほうに手を伸ばす。悪の国と正義の国があると。戦争はだんだんに複雑化し、金融市場の活性化のためにあるのかもしれないけど、個人にとって入り込めない世界なので、二元論の世界にとどまってしまうのも仕方ないことなのかもしれないと、静かに絶望するしかないのだろうか。

 

 中井久夫がいても精神科病院の世界は変わらなかった。その大きな理由は、経済だろう。ベットを増やし入院患者が多いほど儲かる。わたしも張り切って、ドクターを説得して退院させていたら、ストップがかかったことが何回もある。ベットコントロールが病院経営には大事なのだ。どうそこを切り崩していけるか、理想だけではかなわない。経済システムを変えないと変わらないだろう。

 

 戦争についても理想や冷静な意見は、嘲笑われる。まずは経済なのだ。国民の人権より経済なのだ。そういわれると、国民は人権を差し出し、安心安全を求める。そのことは中井久夫も「安全保障感」として書いているが、そのことはまた今度。

 

高見順『敗戦日記』

 

『敗戦日記』高見順(中公文庫)

 

 高見順の日記から昭和20年(1945年)の1年間の記録が載っている。

 高見順は、鎌倉に住む文士。でも、疎開するお金もないので、悩みながらも鎌倉を離れることができない。「文学報国会」という団体にも所属していて、会議のために東京へ行く。その間にも東京がどんどん空襲で焼けていく。その焼け跡を見るために電車に乗って東京へ行っては歩きまわる。そうして伝手をつかって酒を飲む。「酒が好きではない」と書きながらも、飲んでばかりいる。酒飲むお金あるなら疎開しろ、いつ爆撃が来るかわからないだろう、と思うが、ほとんど運命に任せている諦めもある。

 でも、生きていると食べなくてはいけない。鎌倉文士が本を出し合って貸本屋鎌倉文庫」を開く。本など買えない時代に、本を読みたい人は多く、文庫はとても繁盛する。

 

 高見順の記録は、東京の町の様子だけでなく、新聞の報道の内容も書き記す。

 新聞が太平洋での負け戦を隠し、戦争を煽る様子を嫌悪する。それが、敗戦直前まで勇ましい論調である。そのことを誰も謝らない。国民が飢えと貧しさの中にいることも誰も責任をとらない。

 読んでいると、現代に通じるものが脈々とあって、声の大きなものが世の中を動かす。心に思うことがあっても、何か言えば投獄される危険がある。文士たちも当たり障りないことを書いて、日々をやり過ごし書けなくなる。国威高揚するようなものを書ける人はいいが、高見順には書けない。だからか、日記を精力的に書く。知人に「日記なんて危なくて書けない」と言われる。本音を書いた日記は非国民の証拠にされかねない。

 

 7月26日の日記に次のような折口信夫の言葉が書かれている。「情報局関係のすべての文化芸能団体のものが集まる会だった」ところで、いろいろな意見が出る。そこに

折口信夫がこれまた国学者らしい静かな声で「安心して死ねるようにしてほしい」と言った。すると上村氏が「安心とは何事か、かかる精神で・・・」とやりはじめた。折口氏は低いが強い声で「おのれを正しゅうせんがために人を陥れるようなことをいうのはいけません」と言った。立派な言葉だった。こういう静かな声、意見が通らないで、気違いじみた大声、自分だけ愛国者で、他人はみな売国奴だといわんばかりの馬鹿な意見が天下に横行したので、日本はいまこの状態になったのだ。似而非(えせ)愛国者のために真の愛国者が投打追放され沈黙無為を強いられた。今となってもまだそのことに対する反省が行われない。」

 

 

 反省は行われずに21世紀となり、また同じことの繰り返しが行われているように見える世の中になっていないだろうか。

 

 折口信夫、かっこいいな。

 NHKオンデマンドで「100分で名著」で折口信夫の『古代研究』を見てみる。折口信夫ほどの愛国者はいないと思う。でも、そんな知識など軍国主義には必要はないのだ。

虎の威を借りて威張りたい人がのしあがっていく。難しいことは考えなくてもいい。同じ文句を唱えて演説していればいいのだから。「国家一丸となって」「神の国」等々の言葉をつないでればいい。折口信夫のように万葉集をひも解いたりしなくていい。

 折口信夫が死にたくなるのも無理はない。

 

 ぜひこの本は読んでほしいので、会う人には「面白い」「折口信夫がかっこよかった」と宣伝している。

映画「日本と原発4年後」

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『日本と原発4年後』 2015年  監督:河合弘之

先月、福島の被災地をまわるツアーに参加して、帰還困難区域にもはいり浪江町飯館村などをまわってきた。そのこともあるところで報告するのでまとめているところ。

ツアーに参加する前に本を読んだりして勉強していたけど、この映画は見ていなかったので、視聴する。

「日本と原発4年後」とは、2015年の撮影なので、請戸地区もまだ片付いていない。

あちこちにフレコンバッグが積み重なっている。

今回のツアーでは、フレコンバックが続く風景が見られると思ったが、目にすることはできなかった(少しはあったが)。どこへいったのか。山の中などの人の目に触れないような仮置き場に移されたようだ。もしかしたら、オリンピック前にかたづけられたのかもしれない。処分方法は決まっていない。放射能廃棄物なのだから、厳重に管理されないといけない。でも、日本はそういうところはいい加減なような気がしてくる。

 

原子力村の構造がわかりやすく説明されている。でも、もとになるお金は税金。

 

2022年10月は、請戸はすっかりきれいになり、震災遺構として請戸小学校は残されたが、漁港も再開されている。近くでは「福島イノベーション・コースト構想」がはじまって、近未来都市を国は描いている。

 

生活と健康を奪われた人たちを踏みにじって、原発安全神話のあとは、放射能心神話を流して、原発事故を国民が「終わったこと」と思わせようとしている。まだなにも終わっていないのに。

 

映画のなかで原子力委員にもなった元キャスターの木元教子は、「今の生活を手放せないでしょう。停電があるなんていやだ」というような発言があったが、わたしはわたしたちが節電ではなく、生活のダウンサイズしていかないといけないと思う。

わたしたちの働き方生活を変えていかないと、原発は嘘の塊の象徴として残り、また大きな被害をもたらすだろう。自分が被害に合わないとわたしたちはわからないのだろうか。人の痛みを知る想像力を枯渇させてしまったのは誰なのだろう。

 

あと、「3.11子ども甲状腺がん裁判」口頭弁論の期日集会などをYouTubeでみて、今日も日が暮れてきた。

 

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好きなイギリス俳優が出ている映画2本。

 

スーパーノヴァ』 2020年 監督・脚本 ハリー・マックイーン

 

 主演は、コリン・ファーススタンリー・トゥッチ

 コリン・ファースは音楽家。スタンリー・トィッチは作家。ふたりは若い時に出会い愛し合い、30年連れ添って一緒に暮らしてきた。だが、作家は認知症となったようだ。冗談を言い、明るく振る舞うが、服を着るのが難しい、道がわからなくなる。音楽家は世話をする。

 男性同士の夫婦というのがじっくり上品に描かれている。家族や友達も二人を見守り心配する。まわりもいい人たち。ただ、書けなくなった作家には自分の最後に覚悟があった。

 映画はイギリスの湖水地帯をドライブする光景がつづく。わたしは走っても走っても看板ひとつない美しい景色に感心する。日本だったら、どんなに田舎へ行っても看板があちこちにある。きっと規制されているのだろう。

 

ネタバレになるので詳しく書けないが、ラストは『男と女 人生最良の日々』のようであったらいいなと思った。

 

 

『ファーザー』2020年 監督 フローリアン・ゼレール

 

 主演は、アンソニー・ポプキンズ。認知症を患った知的で頑固な父親役を演じてさすがだ。

 この映画は、主人公の混乱が私たちの混乱となる。どちらが現実なのか、このフラットは誰の家なのか。絵の位置が変わっていないのか。主人公の部屋だけは廊下の突き当りにあることは変わらない。いろいろなものが観ているほうも不確かになる。目が離せなくなる。現実で正しいことを判断しようと、自分の認知を守る。でも自信がないと目の前にあることを現実だと受け入れるしかない。確信が揺らぐ。人を疑う。さいごは自分を疑う。そして子どもに戻って守ってもらいたい。不確かな世界から安心する世界に。

 

ちょい役で出ていたマーク・ゲイティスを見ていたら、「シャーロック」を見たくなった。すでに2度みているのだが。しかし、この映画のなかで、高齢者虐待があることも暗示しているのかもしれない。

 

気がつけば、『スーパーノヴァ』も『ファーザー』も認知症について描かれている。イギリスも認知症になる恐れが強いのかもしれない。だからこそ『スーパーノヴァ』の最後はわたしには困るのだ。支援されることを嫌がる姿。それが自立した人間だと伝えていないだろうか。

そして映画に出てくる家庭は、どちらも生活が困らない階級の人たち。いい介護人や施設も選べるだろう。庶民の場合はどういう福祉制度がイギリスにあるのか気になるところだ。

 

 

映画「原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち」

先日、この映画をみるために雨の中、仙台へ行きました。

 

原発を止めた裁判長 原発をとめる農家たち』 監督:小原浩靖 

 主役は、樋口英明元裁判長。

「2017年8月、名古屋家裁部総括判事で定年退官。2014年5月21日、関西電力大飯原発3・4号機の運転差止を命じる判決を下した。さらに2015年4月14日、原発周辺地域の住民ら9人の申立てを認め、関西電力高浜原発3・4号機の再稼働差止の仮処分決定を出した。」

 という人だ。樋口さんは定年退職後は原発の安全性に関する講演をしてまわっている。樋口さんが説明する原発の耐震性が脆弱なことを指摘する。一般住宅より低い。それを「安全だ」ということに疑問を呈する。

樋口さんの判決文の最後に書かれてある言葉が素人のわたしにもわかりやすく、胸に落ちる。

他方,被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性,コストの低減につながる と主張するが(第3の5),当裁判所は,極めて多数の人の生存そのものに関 わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わった り,その議論の当否を判断すること自体,法的には許されないことであると考 えている。我が国における原子力発電への依存率等に照らすと,本件原発の稼 動停止によって電力供給が停止し,これに伴なって人の生命,身体が危険にさ らされるという因果の流れはこれを考慮する必要のない状況であるといえる。 被告の主張においても,本件原発の稼動停止による不都合は電力供給の安定 性,コストの問題にとどまっている。このコストの問題に関連して国富の流出 や喪失の議論があるが,たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字 出るとしても,これを国富の流出や喪失というべきではなく,豊かな国土とそ こに国民が根を下ろして生活していることが国富であり,これを取り戻すこと ができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。 また,被告は,原子力発電所の稼動がCO2(二酸化炭素排出削減に資す るもので環境面で優れている旨主張するが(第3の6),原子力発電所でひと たび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって福島原発 事故は我が国始まって以来最大の公害,環境汚染であることに照らすと,環境 問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

 

「国の富」とはなんだろう。この大地であり、住んでいる人間や動物たちではないかということ、それを一時の金儲けと比較できるだろうか。樋口裁判官の言葉をきちんとマスコミが伝えれば、誰にもわかることだと思うのだが。

 

原発の事故は、わたしには恐ろしかった。山の家はホットスポット地域で、山菜も茸も食べてはダメ、薪も燃やしてはダメと言われた。うちもまわりの年寄りも守りはしなかった。でも、町の人にタラの芽のお土産を配ることは、あれ以来していない。

 

福島の原発事故はいろいろな偶然が重なって、あの程度の事故におさまった。もっと大きな事故となる可能性があった。そのときは関東から東北は住めなくなる。それだけの人口がどこに避難するのだろう。

 

ニュースで原発の安全審査の話をしている。避難計画をきちんとしているかどうか。

いやいや、そんな避難をしなくちゃいけないものを作るなよ。怖すぎるではないか。普通に冷静に考えて、原発はやめた方がいい。

自然エネルギーの可能性を研究し、わたしたちはダウンサイズな生活をしていく。省エネを本気で進める。自動販売機はいらない、店も遅くまで開けなくてもいい。ヨーロッパなどでは土日に店が閉まっているとか自動販売機ないとか、聞く。便利さの追求はやめたい。そのためにも長時間労働を改善して、平日に買い物や料理をして、土日はゆっくり過ごせるようにしたい。

生活や制度を変えることが必要で、映画の公判では、農家の人たちの姿が描かれていて希望が見える。

山を崩しての太陽光発電システムには抗議の声が上がっているが、山を崩さないで太陽エネルギーを得る方法もある。考えていけばできることはいっぱいあるように思う。

 

しかし、企業や役人は今の地位や利益を守ることを優先させる。

 

日曜日には、福島原発告訴団団長の武藤類子さんのお話を聞く機会があった。

福島は原発事故も復興の利権に群がっている人びとがいることを指摘する。事故前は安全神話をばらまき、事故後は放射能は怖くないと啓蒙活動をしていく。箱モノは立派になり、福島の復興を謳いあげ、子どもたちにこれほどの甲状腺がんがでているのに、因果関係を認めない。国策として原発振興していた国の責任がないのはおかしい。

でも、国もマスコミもいろいろな勢力が福島を忘れさせるのに必死のようだ。

 

福島はいまだに「原子力緊急事態宣言」が解除はされていない。解除できない状況が続く。

福島県民の放射能の安全基準は、20ミリシーベルト以下。ほかの日本国民は、1ミリシーベルト

福島へ戻らない人たちをなんで私たちが何か言うことができるだろう。住んでいる人たちは悩みながらも生活している。

 

それでも、わたしもニュースを聞いているだけだと、福島の現状はよくわからない。だんだん復興しているようなイメージも持ってしまう。マスコミはいいニュースしか伝えない。オリンピックのためには弱い人たちは切り捨てられていった。

 

もういちど福島を考え、原発のことを考えないと、日本はディストピアだと思う。今だけ自分だけの利権を貪り食う人たちは、いちばん儲けるのは戦争だと気がついているだろうから。戦争は怖い。こんなに原発があるのだ。

むかし、ある年寄りから「日本はあの敗戦を立ち直ったのだ。日本人はどんなことも乗り越えられる」と言われたけど、戦敗れて山河ありだった時代ではない。山河が近寄れないものになり、故郷に帰れなくなるかもしれない事態になるのが日本の現状だと思い出さないといけない。