胡桃の木の下で 

日記ではなく備忘録になっています。忘れっぽくなってきたので。

働くこと

 働かないというのは、なぜか罪悪感を感じます。
 この春休みもたくさん仕事して稼ぎたかったのですが、先週まで集中講義や研修があって忙しくて仕事を引き受けられない状態でした。
 夏休みには訪問とデイ・サービスで平日の人手が足りなかったので仕事がありましたが、今は新しい人も入って私の仕事はないようです。
 重度の介護訪問の仕事もあるかもしれませんが、大学がはじまってしまえば忙しくて継続して仕事できない状態になるとわかっているので、やりますとは言えないでいます。
 某ライター・グループの仕事も手伝うと約束をしていましたが、これも大学が始まると継続していい仕事をするという約束ができないため、胸をたたいて引き受けられないでいます。
 そういう訳で、週末のデイ・サービスでのバイトの他は、ブラブラしている訳です。ブラブラといっても家庭の仕事をしたり、読めなかった本をすごいスピードで読んで「目が痛い」と騒いでいたり、交通費ぐらいしかでない某会議に出て馬鹿な質問をしたりしている訳です。
 でも、お金を稼げないというのは自己卑下しそうになります。
 お勉強というのは孤独です。デイ・サービスで働いたりすると、人とも話して疲れて充実感があえります。やはり何か自分も役に立つと思えるからでしょうか。
 働いていないというのは、つらい状態です。
 でも、なんでこんな罪悪感をもつのかしら。
 私は主婦だし、大手をふってブラブラしていても誰も責めやしないと思います。本当に働きたくないとき、引きこもりたいときに主婦ほどいい身分はありません。
 夫に食べさせてもらっている状態になじめないのかもしれません。すごくお金持ちだったら罪悪感を感じないのかしら。うちは自営業で夫婦で働いてこそ余裕がある家計なのに、私が働いていないためいろいろ我慢しなくてはいけません。申し訳ないです。
 それでも、後期の1月2月は忙しすぎて少し鬱になって、なんだか涙ばかり出てきていたので、忙しすぎるのも駄目です。一時は座って食事する暇がなかったの。でも、時間に余裕ができると罪悪感を感じる。もっと大きく構えないといけないと思うのだけれど、貧乏性なのかもしれません。
 それで話は違うけれど、障害を持つ人の就労支援の話を聴いていたとき、なんだか働け、働けと大変なんだなと思ったのです。何でもいいからお金を稼ぐ。それが素晴らしいこととは思えないのですが、働かないことの罪悪感はわかるような気がします。
 お恥ずかしい話ですが、この歳になっても働くとはなんだろうと考えます。